=杉本社長インタビュー内容=
【in-職ハイパー】より

「春秋」の由来=
「春秋」のコンセプト=

「春秋」とは、中国語で(長期に渡る)年月、歳月と言った意味があります。
創業当時、時は86年、バブルのまっただ中ということもあり、飲食店などは、3〜5年の寿命の店舗が多かったのです。

やはり、せっかくなら長いこと愛されるお店を目指したい。そんな想いで、歳月という意味を持つ「春秋」を名前に選びました。

それと、これも当時、カタカナの名前が主流だったので、単純に目立つ方がいいと思って、漢字の名前にしよう、とも考えましたね(笑)。


「春秋」の料理のはじまりは、糖尿料理。

私が、糖尿の気がありましたから、自分のためだけというのでもないのですが、低カロリーでヘルシーな料理からはじめたんです。

自慢ではないけれど、当時、居酒屋みたいなところで自家製とうふを出したのは、春秋がはじめてだったかと思います。そのうちに、みんなも真似しはじめましてね。ブームになってましたよ。

体にいい料理。つまり、人間と長くつき合っていく。それが「春秋」と名付けられた飲食店のコンセプトになりますね。

東京芸大卒の杉本氏が、飲食店をはじめたわけ。
杉本氏は「春秋」をつくったきっかけをこう話す。

偶然ですよ。不本意でした。

大学の剣道サークルがきっかけで知り合った後輩から「春秋」を引き受けた。

芸大を卒業した杉本氏は、空間デザイナーとして順調に仕事をしていた。

時は、バブル絶頂期。後輩がビルを建てた。大学サークル仲間のよしみで、保証人になる。

そして、氏曰く、絵に描いたように、その後輩のビルは倒産してしまう。

同ビルにつくられた飲食店は、「春秋」。若かりし杉本氏が空間デザインし、名前を付けた。

従業員も抱えたままの「春秋」をやむなく、引き受けた。

そのようにして、不本意に飲食店の経営者になる。

氏は、はじめ経営には一切タッチしていなかったが、これまた、やむなく経営にたずさわることになり、よくわからないまま、なんだかんだとみんなで頑張っていたら、気付くと有名になっていた。

場所は、世田谷区の三軒茶屋、三宿

今は、芸能人の隠れ家として名をはせているが、当時、三宿はまったくの住宅街。

つまり、「春秋」が現在の三宿をつくったと言っても過言ではない。

その頃、成城地区では、人気No1。予期しない予定外の展開で「春秋」は成長していた。

それから、空間デザイナー杉本氏のもう一つの顔、株式会社春秋の経営者あるいは、食文化の担い手というライフワークがはじまった。

飲食店、その社会的な意義
【飲食は、コミュニケーションツール】

20世紀の終わりから、飲食を含むあらゆる事柄が産業化された。
つまり、言葉の意味が変わってきたということです。

レストラン、という言葉には、単に食事をするという意味ではなく、コミュニケーションのひとつの形態になっている。

例えば、洋服のように、暑いから、すずしいからという機能面だけでは人は洋服を選択しない。
友達との関係を考えたり、自分を説明するために洋服は選択されますね。

これは紛れもないコミュニケーションツールです。

飲食も、どこで夜を過ごすのか、どこでお酒を飲むのか、どこでご飯を食べるのか、ということで人はチョイスしているわけですね。

つまりこれは、社会と関わる、という意味での豊かさを表しているのではないか。

だから、現代の人にとって、飲食というのは、美味しいメニューだけではなく、環境・空間も総合的に大事なものなんです


時代の中に残す、という使命を持った飲食店「春秋」

そして、あらゆることが産業化された現代では、人々のコミュニケーションが危機に瀕している。

そういうことに関して、抵抗感を持たなければならない、僕はそう強く感じます。

だって、社会というのは、政治家などがつくっているものではなく、まぎれもない僕ら自身がつくっているものですから。

だから、ひょっとしたら、飲食店というのは、そういった社会的役割を担えるのではないか、そう僕は考えています。

社会的役割を持った重要な飲食店を時代の中に残していく、ということを僕らの手の届くところで考えよう。それが僕らが社会にできることだと思っています。

僕は、春秋経営の20年間、給料をもらってません
金のためにやってんじゃない、ということをアピールすることで、そういった社会的意義を社員に伝えているつもりです。

春秋は、今年の8月、創業20年の集大成とも言える店舗を出店します。現在、杉本氏がコンセプトを出し、調理・ホール・店長・アルバイト、従業員いちがんとなって、同じ次元で、同じ方向を向いて日夜力を尽くしています。
杉本氏の考えに共感を持った方、一緒に働きませんか。是非、ご応募下さい

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